ロシアによるウクライナ侵攻から1年 ーー 混迷する世界と平和学の課題

加藤 美保子 (講師)

ロシアが隣国ウクライナへの全面侵攻を開始した日からまもなく1年が経とうとしている。ウクライナを支援する西側諸国は、ドイツが戦車レオパルドの供与を決めたのに続き、次々と戦車供与を表明し、2023年春から夏にかけての反攻作戦に備え始めた。これに対するクレムリンの反応は、国内向けに戦車の供与は大きな脅威にはならないというメッセージを発信し、現段階では西側とロシアの深刻なエスカレーションを回避しようとしているように見える。しかし、プーチンもゼレンスキーも和平交渉への関心を示しておらず、露ウ戦争は長期化の様相を呈している。

ドイツのショルツ首相は2022年2月24日の侵攻開始直後、この日を「我々の大陸の歴史における時代の転換点」と位置づけた。国際関係、金融、貿易、経済、そして日常生活が変わったという意味においては、欧州にとどまらず世界規模で既存の秩序が転換点を迎えていると言えよう。問題は、我々がどこに向かおうとしているのか、変化の先にあるものが見えないことである。

昨年末、ウクライナのゼレンスキー大統領はアメリカ議会で更なる支援を求める演説を行った。その中で彼は、この戦争を、ウクライナだけでなくアメリカや全ての人々にとっての民主主義を守る戦いとして位置づけ、ウクライナへの支援を世界の安全保障と民主主義への投資だと訴えている。この訴えはもっともであり、民主主義や自由という価値に基づいた世界を守るために、私たちはウクライナを支援し連帯していくべきである。しかしその一方で、この戦争を「独裁体制のロシアに対抗する民主主義諸国」という枠組みで捉えることによって、この戦争が始まる前から起きていた、民主主義の後退やリベラルな国際秩序の揺らぎという問題が「うやむや」になることへの不安がよぎる。

シブシャンカル・メノン元インド外務次官・国家安全保障顧問は、フォーリン・アフェアーズ誌への寄稿で、プーチン大統領のウクライナ侵攻を国際規範への違反だとした上で、世界の主要国の中で、現在の国際秩序に満足している国はほとんどない、と指摘する。1990年代の、中国やロシアがアメリカ一極主義を受け入れつつ独自性を保ち、成長を享受しようとした時代は終わり、両国はそれぞれアジアとヨーロッパでアメリカ主導の体制に揺さぶりをかけている。しかし一方で、アメリカ自身も、トランプ政権下ではパリ協定、環太平洋パートナーシップ協定、オープンスカイ協定などから脱退し、世界貿易機関(WTO)からの離脱を示唆するなど、多国間で合意したルールの軽視が顕著であった。この時期に同盟国に対するアメリカの関心が低下したことや、露ウ戦争、中国-台湾関係の緊張の影響から、ドイツや日本は国防・防衛費の増額へ向かっている。インドも、人口や経済、地政学的重要性に見合った国際的地位を求めて独自の対外戦略を展開している。つまり、メノンが指摘するように、複数の修正主義パワーが秩序を再確立しようと模索するのが今の世界の実像であるならば、民主主義対非民主主義諸国の構図や、新冷戦という概念で世界を捉えることは、本質的な問題の解決につながらないのかもしれない。  

それでは世界の更なる不安定化を回避するためにできることはないのだろうか。平和学、国際政治学のアプローチでできることは限られているかもしれないが、第一に、地域研究や軍事研究が明らかにした知見を活かしつつ、現状をより長いタイムスパンの中に俯瞰して位置づけなおし、露ウ戦争がどのような意味で国際秩序の転換点なのかを複数の観点から再検討することが求められる。第二に、露ウ戦争が長期化する中で、食糧危機などの深刻な影響を受けているグローバル・サウス(新興国、発展途上国)の利益をいかに秩序の再構築に取り込めるかを考察・提案することである。さらに、難しい問題であるが、地域での緊張をいかに紛争化させないかという点についての研究も必要であろう。ジョセフ・ナイが指摘したように、露ウ戦争は、経済的相互依存は戦争を予防しないということを示した。それでは紛争化はいかにして回避が可能なのか。答えは見えないが、中台関係の緊張や軍事的台頭を続ける北朝鮮に直面する日本にとって、喫緊の課題である。

*このエッセイは筆者個人の見解です。

【広島平和研究所のウクライナ関連プロジェクト】

広島平和研究所 プロジェクト研究「ウクライナへの軍事侵攻と国際社会への影響―安全保障、国際秩序、国内政治・外交の行方」

広島平和研究所ブックレット Vol.8 『広島から戦争と平和を考える』2022年7月