大地の声なき声に耳を澄ませば―核兵器の非人道性と〈非生道性〉

佐藤 史郎(教授)

広島と長崎に原爆が投下されてから80年の歳月が流れた。ここで少し立ち止まって、あらためて考えてみたいことがある。それは、核兵器の被害を受けたのは誰だろうか、という点である。

この問いに対する回答の1つとして、すぐに頭に浮かんでくるのは、1945年8月に広島と長崎に落とされた原爆の被害者であろう。原爆の被害から生き残った人たちには、いわゆる「被爆者」のほかに、被爆者健康手帳の所持を求めている人たち、たとえば「被爆体験者」といったような人たちもいる。

核兵器の被害を受けたのは、核兵器の「使用」による被害者だけではない。核兵器の「製造」に必要なウラン鉱石の採掘や製錬等の作業に関わった人たち、核兵器の「実験」で放射性降下物の被害にあった「被曝者」たちなどもいる。また、放射線の影響による被害という点でいえば、原子力発電所の事故などで被害者を受けた人たちもいる(これらの点については、ロバート・A・ジェイコブズ著、竹本真希子・川口悠子・梅原季哉・佐藤温子訳『グローバル・ヒバクシャ』名古屋大学出版会、2025年を参照のこと)。

さらに問いかけてみよう。核兵器の被害を受けたのは人間だけだろうか。その答えは、否、である。たとえば、人間以外の生きものとして、被爆した樹木があげられよう。被爆樹木の幹の一部は爆心地側に向かって曲がっている。放射線などの影響により成長が遅れているからだ。人間以外の生きものも核兵器の「使用」による被害を受けているのである。

ここで、核兵器と人間以外の生きものとの関係を考えるために、林京子の感性に触れてみたい。彼女は14歳のときに長崎で被爆した。被爆体験をもとに多くの文学作品を残している。林は1999年に米国のニューメキシコ州にある「トリニティ・サイト」を訪れた。ここは1945年7月に人類が初めて核実験をおこなった場所である。この大地に立ったときのことを、彼女はつぎのように描写している(林京子「トリニティからトリニティへ」『長い時間をかけた人間の経験』講談社、2000年、171-172頁)。

 大地の底から、赤い山肌をさらした遠い山脈から、褐色の荒野から、ひたひたと無音の波が寄せてきて、私は身を縮めた。どんなに熱かっただろう――。
 「トリニティ・サイト」に立つこの時まで、私は、地上で最初に核の被害を受けたのは、私たち人間だと思っていた。そうではなかった。被爆者の先輩が、ここにいた。泣くことも叫ぶこともできないで、ここにいた。
 私の目に涙があふれた。

すなわち、核兵器の「実験」により大地は被害を受けていたのだ。いいかえれば、人間は核兵器で大地に暴力を加えていたのである。そして、林の感性の延長線上に想像を膨らますことが許されるのであれば、その大地には、人間以外の生きものたちも存在していたはずである。とすれば、大地で生を営む人間以外の生きものも核兵器の被害を被っていたといえよう。

もちろん、大地は言葉で私たちに直接語りかけることはできない。林のいうように、大地は「泣くことも叫ぶこともできない」のである。しかし彼女は、大地の声なき声に耳を澄ますことで、「被爆者の先輩が、ここにいた」と感じて涙を落した。大地は、その存在をもって、核兵器の被害を彼女に語ったのである。

人間は核兵器で同じ人間に暴力をふるう。また、人間以外の生きものに対しても暴力をふるう。そして、人間を含む生きものの生存基盤となる大地にも暴力をふるう。このように認識したとき、私たちは、核兵器の「非人道性」はもちろんのこと、人間を含むあらゆる生きものたちの命に対する〈非生道性〉にも注意を払うべきではあるまいか。そして、この〈非生道性〉と非人道性の関係性を考えることで、核兵器の非人道性をより深く思索することができるとともに、核兵器をめぐる暴力性を一層あらわにすることができるのではあるまいか。