日朝学生交流にみる北朝鮮の学生たちの変化 Changes of Attitudes of North Korean Students in the Students Exchange Program between Japan and North Korea

「南北コリアと日本のともだち展」の取材ノートより

渡辺 夏目(共同通信外信部記者)

*この記事は、紀要『広島平和研究』第7号に掲載されたものです。
ここでは、その一部をご紹介しております。

はじめに

「戦争が終わって平和な世界になったら、パスポート無しで北東アジアを自由に行き来したい」。  

2019年 8 月末、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と表記)の首都・平壌で、現地の大学生から想像もしなかった言葉を聞いた。非政府組織(NGO)「日本国際ボランティアセンター(JVC)」などが主催する日本と平壌の大学生交流の中で行われた意見交換会でのことだ。私は共同通信の記者として、2012年からこの大学生交流の取材を続けているが、平壌の学生たちが、朝鮮戦争の終結後に実現するであろう隣国との友好関係の先に平和な未来を描き、屈託なく語る姿は新鮮だった。  

この日朝大学生交流は2012年に始まり、北朝鮮のミサイル発射予告などで情勢が緊迫化した2017年は主催側の判断で中止されたが、それ以外は毎年、大学が夏休みの8月中に開催されてきた。2012年夏といえば、前年に死去した金正日総書 記の後継者となった金正恩第 1 書記(当時)の新体制に移行して間もない頃だ。それから7年余り、金正恩朝鮮労働党委員長が力を入れてきた経済改革で、市民の生活環境は毎年変化を見せた。平壌の街には高層マンションが建ち並び、タクシーが多く行き交い、人々の服装が華やかになるなど、風景は大きく変貌した。 一方で金正恩委員長は大陸間弾道ミサイル(ICBM)や核開発などの軍事挑発を繰り返し、北朝鮮は国連安全保障理事会決議による制裁を科されてきた。

ところが一転して、建国70周年を迎えた2018年は対外情勢において激動の年と なった。韓国での平昌五輪開催を機に南北対話が進み、金正恩委員長と文在寅韓国大統領は4月、板門店で共に軍事境界線を越え、朝鮮半島の平和構築を宣言した。こうした流れの中、文在寅大統領が仲介者となって米朝対話へとつながったのは記憶に新しい。そしてシンガポールで6月、金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領の歴史的な会談が実現する展開となったのだ。

その後、2019年2月のハノイでの米朝首脳会談は話合いが決裂し、非核化をめぐる交渉は行き詰まりを見せたが、同年6月、電撃的に板門店で米朝首脳会談が行われ、トランプ大統領が歴代大統領で初めて軍事境界線を越えて北朝鮮側に入った。日本では「政治ショー」だと冷ややかに見る人も多かったが、この米朝会談 は北朝鮮の人々に期待をもたらし、少なからず日朝大学生交流の内容にも影響を与えた。冒頭紹介したように、平壌で自信を持って平和な未来を語る学生が現れたのも、その一つと見られる。  

一方で、日本と北朝鮮との関係は依然、膠着したままで、首脳会談の実現の兆しもない。だが日朝大学生交流の主催者は「国交が無くとも未来を担う若者同士で平和について語らい、対話の努力をすべきだ」と現地の大学に働きかけて交流を維持してきた。これまでの日朝双方の参加者はのべ約100人を超える。当初こそ討論の機会はなかったが、交流を重ねるにつれて学生同士が話す機会が増え、話題も学生たちに任せられてきた。  

最近の目玉は意見交換会で、核・ミサイル開発などの安全保障問題、拉致、歴 史認識の問題など、日朝間の様々な課題にまで討論が及ぶ。朝鮮半島を取り巻く情勢がめまぐるしく変わる中、交流プログラムは真剣に内容が練られ、続けられてきた。交流の取材を続け、現地の学生と会話をする中で、体制や内外情勢の進展を背景に、彼らの表情や言葉に一定の変化や特徴を見つけたことも多々あった。  

本稿では、2012年から2019年までの日朝大学生交流に注目し、その内容や平壌 の学生の言葉、流行などの変化を追う。その上で、それらの変化を、朝鮮半島情 勢や北朝鮮の体制の現状と照らし会わせながら考察することで、日朝間の民間交 流の意義や可能性について考えてみたい。

紀要『広島平和研究』第7号で全文をご覧いただけます。

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