戦後イギリスと日本の PR──イギリス国立公文書館を訪ねて Public Relations in Postwar Britain and Japan

河 炅珍(准教授)

*この記事は『Hiroshima Research News』57号に掲載されたものです。
ここではその一部を紹介しています。

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 2019年 3 月19日から23日の間、ロンドン南西部リッチモンドにあるイギリス国立公文書館を訪れた。広島とその周辺地 域におけるイギリス連邦占領軍(BCOF)の活動に関する記録を調べることが主な目的であったが、予想を上回る資料が見つかり、実りあるフィールドワークとなった。調査内容を踏まえ、本稿では戦後日本におけるパブリック・リレーショ ンズ(PR)の歴史を理解する上での視座を広げてみたい。

 「戦後イギリスと日本の PR」が非常に珍しいテーマであることに、まず触れておきたい。日本の PR 研究、とりわけ、その起源や原点を探る歴史的研究がこれまで重点を置いてきたのは、何と言っても「アメリカ」であり、その背景には PR史研究が土台としている占領研究の傾向が関係している。日本の占領研究は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ) に焦点を当てると言いつつも、実際にはアメリカ軍を中心に占領の実態を明らかにしてきた。PR 研究もまた、「占領軍=アメリカ軍」という前提の上で GHQ による占領政策が戦後日本の政治的、経済的主体をいかに PRの担い手として覚醒させたかに光を当ててきた。 

 このような議論に対して異論を呈するつもりはない。だが、歴史により深みをもたらすためにはまだ検討しなければならない問題が残っている。日本の占領が事実上、アメリカ軍を頂点とする権力構図下で行われたとしてもGHQは連合 国軍機関であり、占領期の日本にはさまざまな国から派遣された軍組織が駐屯していた。広島とその周辺地域は、イギリ ス軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍、イギリス領インド軍からなるBCOFの管轄下に置かれた。中国地方と四国地方を担当したBCOFが、GHQやその指令を執行する軍政府と協力しながらも任務遂行に際してしばしば異見もあったことは、千田武志『英連邦軍の日本進駐と展開』(御茶の水書房、1997)など、関連研究からも見て取れる。

 話をPRの歴史に戻せば、GHQや軍政府は、行政の民主化をすすめ、官と民の間における双方向な関係を図る上で情報公開や政策における民意の反映を促がす目的から全国都道府県に PRを担当する部署(PRO)の設置を命じた。一方では占領の妨げとなるものを排除すべく規制(コード)を設け、 検閲を行いながら、他方では民主的コミュニケーションを根 づかせようとしたのはまさにアイロニーである。

 このような歴史から戦後 PRは、GHQが「軍国的」で「専制的」な日本の政治・行政を「民主的」で「先進的」なものに改造していく上で移植されたと考えられる。だが、こうした単純な構図では占領期のPRを捉えきれない問題が今回の調査を通じて浮かび上がった。民主主義を推し進める「モデル」は、アメリカ軍のほかにもあったのである。  

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