8月の広島で考えた社会的記憶と忘却

呉承熺(ソウル大学日本研究所研究教授)

1.はじめに:6年ぶりに訪れた広島

2023年8月、広島平和研究所の訪問研究プログラムのおかげで広島を訪れた。2017年に高麗大学・早稲田大学の学生交流プログラムで学生を引率して平和記念式典に参加してから6年ぶりだ。6年前に出会った韓国人被爆者との出会いと証言が再び広島を訪れるきっかけとなった。被爆者の健康手帳を見せながら、韓国政府と日本政府の両方から認められることがいかに難しいかという話を覚えている。ところが今年5月、G7サミット開催と日韓関係改善の象徴として、韓国の尹錫悦大統領が日本の岸田文雄首相とともに韓国人被爆者慰霊碑を参拝し、韓国でも被爆者問題への関心が多少なりとも高まるきっかけとなった。さらに、国際情勢の対立局面が続き、ロシア・ウクライナ戦争で核と核兵器に関する様々な議論が続く中、広島が持つ意味はさらに特別なものになると同時に、広島の問題はもはや広島だけの問題ではないことも確認できた。ある韓国人被爆者が言ったように、「被爆者はどこにいても被爆者」なのである。

今回の広島訪問研究の実施により、韓国人被爆者問題だけでなく、より普遍的な次元での被爆者問題に関心を持ち、ナショナリズムを超えた被爆者問題へのアプローチと、被爆の範囲を超えた議論への拡大可能性についての問題意識を新たに発見することができた。ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』で指摘したように、民族は想像され、モデル化され、脚色され、変容する。 そして特に博物館と博物館化は、社会的記憶を可視化し、無限に複製する。このような過程で作られた韓国人と日本人は、平行線と同時性の上に存在し、多様に想像されてきた。戦後78年が経過し、1945年8月6日と8月15日を直接経験した人が次第に少なくなっている今、私たちは過去をどのように記憶し、記録し、未来に貢献できるだろうか。広島における社会的記憶の形成、そして過去・現在・未来のつながりとその中に存在する記憶と忘却、そして共存の課題について、広島で考えられた問いと悩みを残していきたい。

2.「被爆国」アイデンティティをめぐる承認と否定

広島と長崎は、戦後の日本に特殊なアイデンティティを与えた地域である。それは「世界唯一の原爆被害国」である日本という存在である。日本は常に唯一の被爆国としてのアイデンティティを明確にし、国際社会に非核と平和のメッセージを発信してきた。米国のオバマ大統領の広島訪問は国際的承認の重要な転換点となり、広島出身の岸田文雄首相も非核3原則を掲げ、非核国家としてのアイデンティティを自らの信念と政策に積極的に反映してきた。「敗戦国」であり「被爆国」である日本は、「経済大国」日本を経て「平和国家」日本としてのアイデンティティを強化している。戦争と戦後の否定的なアイデンティティからの克服と国際社会としての影響力を強化し、指導国家として位置づけようとする承認闘争の過程と理解できる。

しかし、「植民地被害者」韓国は「唯一の被爆国」としての「被害者」日本を認めることは困難であった。 これまで韓国では、戦争犯罪を認めていない日本が被害者としてのアイデンティティを強調することを認めることは困難であった。「戦争犯罪加害者としての日本」という国家アイデンティティを日本は十分に認めておらず、戦争被害者として「唯一の被爆国日本」を強調することは加害者としての日本のイメージを相殺することだと考えてきた。広島と被爆国日本を否定し、記憶の領域から追い出した。少しだけ認識の転換が現れたのは、韓国の代表的なK-popグループであるBTSのメンバーのジミンが、原爆写真を描いたTシャツを着たことが問題になったからだ。日本が犯した戦争犯罪と、戦争を終わらせるためには原爆被害を受けるしかなかったという正当化言説が持つ問題点を直視することになる出来事だった。その後、BTSのファンを中心に原爆被害は人類にとってあってはならないことであり、被爆問題について再認識しなければならないという議論につながり、「原爆は正当」という議論の転換点になった。さらに今年、韓国大統領の訪問で被爆問題に対する認識が高まったことは意味があるが、これも韓国人に限って被爆者に対する認識がようやく明らかになっただけで、原爆と被爆に対する認識はまだ国境を越えていない。

3.被爆国日本の選択的記憶と忘却

広島平和記念資料館には、被爆後の残酷な日常と被爆を決定したアメリカの様々な文書が展示されている。被爆者のドキュメンタリーを通じて直接話を聞くことができ、被爆した人、被爆当時の物、悲惨な風景、そして残された人々の感情に出会えるようにドラマチックな展示空間を構築している。より注目したのは、原爆投下を決定したアメリカの関連文書を紹介している空間だ。残酷で冷酷な投下目標を設定し、決定に至る過程の資料は、戦争の悲惨さを刻印し、誰にでも起こりうる残酷な人間の犯罪行為であり、したがって、これ以上戦争と核兵器の使用を避け、平和で安全な日本と世界を作らなければならないことを強調している。

しかし、資料館には1945年8月15日以前の日本については詳しく書かれていない。広島の時計は1945年8月6日だけに止まっている。「なぜ原爆が投下されたのか」、「なぜ多くの朝鮮人が広島と長崎にいたのか」は展示されていない。選択的な過去の中で何が忘れられているのだろうか。

最も意外だったのは、8月15日の広島の雰囲気だった。8月初めから広島をはじめ日本はお盆の雰囲気で連休を楽しんでいた。バスの運行も祝日基準で短縮運行され、お盆の休日後に業務を再開すると言って閉店した店もあった。韓国では8月15日は、日本が降伏した日、韓国が解放された日、独立した日として光復節として祝われる祝日である。NHKでは終戦に関連したドキュメンタリーが放映されていたが、日常生活の中で終戦の意味を見つけるのは難しかった。8月15日を日本との関係で再確認している韓国とは異なる記憶の中に存在しているのだ。陽暦8月15日のお盆連休に該当する韓国最大の祝日である秋夕は、旧暦8月15日の9月28日から始まる。

4.脱植民地韓国の変化するアイデンティティ

一つ興味深いのは、韓国で8月15日の記憶と日常が多様化していることである。今年もやはりオンラインSNSなどを通じて太極旗を掲げ、解放と光復の喜びを表現する人も存在するが、同時に8月15日の祝日を機に日本へ旅行に行く韓国人もかなり多かった。ある俳優家族は日本旅行の写真をアップした後、批判を受けて削除したこともあった。

日本では南北の人々が共存している点も注目に値する。1945年8月まで日本人と呼ばれていた人々が1945年8月以降外国人となり、韓国戦争で再び国籍を選択するようになった。朝鮮半島から来た人々が朝鮮人または韓国人として再び自分を選択する自己アイデンティティの構築が再び行われなければならなかった。日本人と呼ばれ、戦後日本に残された朝鮮半島から来た人々、彼らを朝鮮人と呼ぶべきか、韓国人と呼ぶべきか、英語でコリアンと呼ぶべきか。 残された課題を如実に示すように、2023年9月1日は関東大震災100年を迎え、韓国人犠牲者を追悼するために日本を訪れたある国会議員が北朝鮮の朝鮮総聯が主催した追悼式に出席し、物議を醸した。北朝鮮出身と韓国出身が共存できる日本は、過去と現在、未来のスペクトルの中で韓国の複雑なアイデンティティの再構築が行われてきた空間だ。

日韓関係が最悪の関係から底を打ち、再び改善されている状況で、韓国は日本に対してある程度の自信を確保した。戦後78年が経ち、韓国と日本の両方で植民地時代を直接経験していない人が増えており、コロナ以降、日本と韓国を訪れる人も増えている。加害者と被害者であった日本と韓国の関係は、やや変化しつつあるように思われる。過去の世界から抜け出し、新しい関係を構築する関係に入ってきている。

5.最後に:何を記憶し、未来に伝えるか

韓国と日本は同時代を生き、オンライン、オフラインの超連結世界に生きているが、それでも韓国では見られない世界、日本では見られない世界が存在する。

日本にいる間に、韓国ではまだ公開されていない宮崎駿監督の作品「君たちはどう生きるか」をちょうど見ることができた。作品に対する好き嫌いや評価は様々だろうが、個人的にはまだ戦争を覚えている宮崎駿が未来世代に残したいメッセージとして理解できる部分があった。過去の世代を記憶し、周囲の人々を大切にし、さらに未来世代が以前の世界から抜け出し、新しい世界を作っていかなければならないということだ。

韓国では、福島の汚染水・処理水の放出以降、目に見えない危険に対する懸念も存在する。核に関する様々な議論が行われる広島だが、この問題についての議論はつながっていない。また、韓国では公開され大きな人気を博しているクリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」はまだ日本では公開されなかった。核開発マンハッタンプロジェクトと原爆投下という事実を直視するのが難しいからだろうか。存在するが見えないもの、まだ存在しないがこれから現れるかもしれないものへの懸念が交錯する状況の中で、私たちは過去と現在と未来を構成している。

これから私たちは何を記憶し、何を記録し、それを未来にどう伝えていくのか。平和な世界を作っていくための取り組みには、語られないこと、忘れ去られていることへの声の出し方が必要である。忘れたい記憶と忘れてはならない過去、今日行われている多くの出来事の中で、見えるものと見えないものにどう向き合うか。 記憶しようとする意識的な努力と、それを乗り越えて未来をより平和にする意志と生命力を強化していかなければならない。