冷戦初期における米国の対中核威嚇について ——「通常兵器化」の試みと不使用規範の相克

梅原 季哉 (広島市立大学大学院平和学研究科博士後期課程)

*この記事は『広島平和研究』9号に掲載されたものです。そのため、事実関係については投稿後に変化した点があります。

はじめに:核兵器と東アジアの特異性

核兵器に関して、東アジアは幾層もの特異性を帯びた地域である。これまで唯一、戦時の核兵器使用で被害を受けた広島、長崎がこの地域に属するのは言うまでもない。さらに今日的な文脈でいえば、核軍備の集中がある。核不拡散条約(NPT)上の核兵器国である中国とロシアが域内国として存するのに加え、域外核大国である米国も、日韓それぞれと軍事同盟を結び米軍基地に兵力を前方展開させ、この地域に深く関与する。一方で NPT から脱退を宣言した北朝鮮は独自の核兵器開発を進め、四半世紀以上に及ぶ多国間外交を経てもなお、非核化に応じる気配をみせない。東アジアには非核兵器地帯条約が存在せず、2021年1月に発効した核兵器禁止条約に関しては、一国で非核地帯を宣言しているモンゴル以外の諸国は否定的で、現状としては署名した国も批准した国もない。中東や南アジアと並び、核問題が集約した形で表出しかねない危うい状況が続いている。

本稿では、核兵器に関係するもう一つの国際政治上の問題が冷戦初期に、やはり東アジアを舞台に生じたことに注目する。それは核威嚇、つまり敵対的な相手国を、核兵器を使った攻撃を加えることも辞さないと脅すことによって、自国にとって望ましくない現状変更を断念させたり、逆に望ましい方向へ態度変更を強要したりすることを目標とする政策である。具体的には米国が1950年代、当時はまだ非核兵器国だった中国を相手に、朝鮮戦争と、2回にわたる台湾海峡危機の際、核攻撃するとの威嚇を公然と加えた。核戦略の変遷を研究してきたローレンス・フリードマンが指摘しているように、広島・長崎以降、中国ほど核攻撃の危険に瀕した国はない。しかもその背後に複雑な国際関係が絡み合っていた。

この歴史は、冷戦期の一挿話にとどまらない意味を持つ。具体的には、核抑止と規範の関係について考える上での重要な実例といえる。

核超大国の米国とソ連が、第3次世界大戦につながりかねない直接交戦は避ける暗黙の了解を互いに交わすという、冷戦を規定した「ゲームのルール」の下にあった時期、両国の戦略核戦力は「恐怖の均衡」による戦略的安定をもたらす抑止力としての機能が期待された。いわば「使われない」ことに意義がある矛盾をはらんだ兵器だった。それは冷戦後ロシアとの関係でも変わっていない。これに対し、限定的な強制外交のツールとしての核威嚇を実現可能にしたのが「実際に戦場で使える」戦術核兵器の登場だった。威嚇の信頼性を担保するのは「いざという時には核兵器を使う」という明確な意図のはずだが、実際には戦術核も含めて過去76年間、戦時下の核兵器使用例は存在しなかった。この不使用の蓄積をどう考えるのか。リアリズムの国際関係論では、核威嚇の力が限定的な文脈で相手を抑止した効果として解釈されうる。一方、規範やアイデンティティといった社会的に共有される理念の作用を重視するコンストラクティビズム(構成主義)の研究者らは異なる視点を持つ。核兵器は、その非人道性から「事実上、使うことができない兵器である」という認識に立った規範が国際社会の中で提唱され、次第に根付き内在化されたため核は使われなかったと説明するのである。その嚆矢が、ニーナ・タネンワルドの著書『核のタブー』で展開された核の不使用規範論である。この研究の中では、核不使用規範が形成途上では、「通常兵器と変わらない」とみなす他の規範と競争関係にあったことも指摘される。

1950年代の東アジアで核兵器が使われなかったのは、威嚇が効き抑止が成立していたためなのか、それとも核のタブーが障壁となったのか。これは今日にも通じる問題といえよう。2010年代半ば以降強まった「大国間競争の再来」という意識が核問題にも影を投げ落とす中で、東アジアでは、米中が紛争で直接対峙する事態となれば、限定核使用へと拡大するリスクが存在するという懸念が強まりつつある。

ヘンリー・キッシンジャーが指摘したように、抑止の成否は現実には起きていない出来事による逆説的な形でしか検証しえない一方で、なぜある事態が起きなかったかの確証を示すことは不可能である。本稿も、核不使用の原因について確定的な答えを出すものではない。以下の各節では、異なる理論的背景を持つ先行研究を踏まえた上で、核威嚇は米国側の意図を伝達する外交ツールとして有効だったのかを意識しつつ、核戦争へと発展するリスクは存在しなかったのか、直近で公になった新たな一次資料による知見も交え、時系列に沿って分析する。結果として核使用には至らなかったこの時期の東アジアの歴史と、形成途上にあった核不使用規範との関係性を探り、ひいては現代からみたその意味を考えることにしたい。

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